鍼灸は古代中国で生まれ、先達の直感・臨床・研究・伝承により、何千年という年月を経て現代に受け継がれています。そのワザは先の尖った細長い鍼で人体を刺激し、ヨモギに火をつける等によって、生体反応を引き起こし、身体のバランスを整えるというものです。 
「それは古めかしい…」、取りようによっては「野蛮な治療行為」と映るのかもしれません。しかし、体表の軽度の刺激によって治るきっかけとなるのものであれば副作用のある薬を与えたり、むやみに負担の多い手術を行うよりも、鍼灸は人に優しい上品な治療といえるかもしれません。 

鍼灸というと「痛い、熱い」というイメージをお持ちの方もいらっしゃると思いますが、当施設での鍼灸は~気持ちいい施術~であるべきと考えています。鍼は浅刺で、灸は極小さなものや間接的刺激(灸頭鍼)の緩やかな刺激で行います。これは軽微な刺激の方がより高い治癒的効果が望めるという治療方針からです。 

人間には、本来「健康な状態を維持しよう」「病気になったら治そうとする」治癒力が備わっています。 これが、いわゆる自然治癒力(恒常性:ホメオスタシス)です。睡眠によって、疲れがとれたり、切り傷などが自然にふさがったり、軽い養生(安静・食養・適度の運動)によって軽い病気が回復する。これも自然治癒力の働きのおかげです。しかし、安静にして休養することが自然治癒力を有効に働かせることになるのですが、病気の状態によっては「何らかの手立てをしないと安静になれず、休養できない」場合があります。その手立てとして、鍼灸があります。
 
古典鍼灸研究会の井上雅文先生は「鍼灸は外から強引に治癒力を加えて治すという医療ではない。生体の方から鍼灸による働きかけを活用し、自分を調整していくんです」とおっしゃています。自然治癒力を働かせる「治るきっかけを創ること」これが鍼灸の本来の目的です。
 
このように言葉としての自然治癒力という概念はご存じだと思います。しかし、実際の病気に対しての自然治癒力の高さ・可能性については、あまりご存じないのではないでしょうか。
ペニシリンという感染症において特効薬があります。確かに感染症において、数多くの患者が助かりました。しかし、薬というものをこの一例でもって、薬全てを絶対的なもの…病気には薬…としていないでしょうか?もちろん、薬を全て否定するということではありません。何から何まですべて薬ということから、少し自らの治すチカラである自然治癒力を活かすことに意識を向けてもいいのではということです。
病気に対する予防的行動、休息(睡眠)、自然治癒力を活かす療法、それでも治らない時に薬。もちろん病状にもよりますが、このような薬とのかかわり方ぐらいが理想なのではないでしょうか。
 
と申しあげましたが、私自身この仕事をする以前は病気=薬でした。当時の私は年に2~3回カゼをひき、もちろんその時はカゼ薬を使っていました。 しかし、鍼灸師となり、古典鍼灸研究会で治療法を学ばせていただいてからは、少しカゼっぽいかなと思ったらそれに見合った風熱治療という鍼を自分で施します。それで信じられないかもしれませんが、それで本当にひどくならないのです。毎年、数回は寝込んでいたものですが、その治療法を学んで以来10数年以上になりますが、カゼで寝込むということはなくなりました。私自身、驚いています。またこんなこともありました。疲れていたのか、蕁麻疹で痒みと腫れで全身覆われました。そこで、また先ほどの風熱治療をすると、先ほどまでの何とも言えぬ痒みと腫れもすーっと消えていきました。自然治癒力はいとも簡単に少しの刺激でも起きるのです。
 
自然治癒力は決して超能力でも奇跡でもなく、全ての人に備わっている治癒力なのです。ぜひ、ご自身の自然治癒力を意識し、実際に体感してみてはいかがでしょうか。

 精神的疾患・難病等の疾患は早く治そうと思わない方が、かえっていい経過をたどることがあります。これらの病はココロと身体が複雑に、影響し合った結果です。気を焦るばかり、かえって病が深くなったり、別の形で現われたりします。治りやすい状態を意識することも重要ですが、急がば回れ、のんびりあるがままでいることも大切な時もあります。 
なかなか難しいことかもしれませんが、今の自分をとりあえず受け入れ、できることを一歩一歩確実に進めるといったことが重要です。一分前のことも、一分先のこともできません。できることは、今というこの瞬間だけです。その結果が明日の自分です。 
古典に「恬澹虚無にして、真気に従い、精神内に守れば、病はいづこから来たらん」とあります。必要以上のわだかまりを持たず、真の自分を見つめ、心穏やでいることの重要性を説いてます。ココロと身体を緩め、あるがままの自分が、治癒の向上につながります。自らの持つ治癒力を信じてあげてください。「究極の名医」は自分の中にいます。自分の自然治癒力に目を向け、その素晴らしさに気づくことが真の癒しとなり、快方に誘ってくれます。それが誰のためでもなく、自分のための一番の近道なのかもしれません。
 
また、同様なことですが、プラシーボも自然治癒力に大きく関わっています。嫌なことでしたら、緊張し交感神経を刺激し、顆粒球増加による炎症症状に近い状態になります。このように感情・こころのバランスの崩れによって身体への影響は少なからず生じてきます。逆に心が安静で、肯定的な感情なら自律神経はバランスのとれた状態となり、自然治癒力が働きやすく身体に対しいい影響が及ぼします。

鍼灸の刺激によって陰陽のバランスをとることで、生体の自律神経系、内分泌系、免疫系等に働きかることになります。その結果として、神経の機能の活性化、反射性の筋緊張の緩和、血液循環の改善、新陳代謝の活性化、白血球、リンパ球の増加(免疫力亢進)、鎮静・鎮痛効果、脳波α波の誘発等を、引き起こします。
このように生体の恒常性を高め、自然治癒力を高めることにより、疾病の予防、病気の治療となるわけです。このことが、痛み止め等の単なる対症療法効果だけでなく、病気のもとから治す根本療法といわれる所以です。
現代の医学のひとつとして代替医療の効果が国連などでも見直されています。副作用のない安全な根本療法として、古いが新しい医学といえるのかもしれません。  

鍼灸の診断は、病気の原因を「外因、内因、不内外因」と三つに分け、四診(望診、問診、聞診、切診)によって病気の証(診断)を決めます。 
病因
外因(外的環境)
外的影響のことで漢方では邪気と呼び、『風、暑、湿、燥、寒』の5種類に区分します。
内因(内的環境)
内的な感情のことで、『怒、喜、思、憂・悲、驚・恐』の七情の乱れを指します。
不内外因(飲食労倦等)
過食・偏食等の食事、精神的過労、房事(セックス)過多、外傷、遺伝など、内因・外因以外のものをさします。
四診
望診(ぼうしん)
顔色や表情、態度、姿勢、体型、髪の様子などを診ます。舌を診る「舌診(ぜっしん)」も望診に含まれます。
聞診(ぶんしん)
声の大きさ、話し方、咳の出方、呼吸音などを聞き、体臭や口臭などの臭いも診断材料となります。
問診(もんしん)
自覚症状や発症の時期、これまでにかかった病気、食べ物の好み、日常生活の様子などもお聞きします。カウンセリング的な要素でもあります。  
切診(せっしん)
体に触れてその状態を診ます。脈を診る「脈診」、腹部を診る「腹診」、皮膚の状態を診る「尺膚診」などです。

問診によって、病気の原因を、内因(感情的なこと)・外因(暑さ・冷えなど)・不内外因(生活習慣・外傷)と分けて把握し、最終的に脈診(人迎気口診)・尺膚診によって、証(診断)を決定します。鍼灸にはこのように四診により、病因をさぐり、それを包括し、診断します。

鍼灸はそもそもは予防医学です。古来より「未病冶」(未だ病であらざるを治す)と言い、病気を未然に防ごうとする考えがあります。「未病」の症状として、「肩がこる、腰、背中が痛い、目が疲れる、お腹が張る、疲れやすい、寝つきが悪い」等は、病気のひとつの兆しといえます。現代の生活環境は自然のリズムから大きく離れ、私達の肉体と精神を大いに蝕んでいます。睡眠の乱れ、気候の大きな変動、食生活の乱れ、職場でのストレス、運動不足等で、 知らず知らず病状は進んでしまうことになります。重度な症状となると、回復にも時間がかかり、難しくもなり、大きな苦痛をともなうことにもなります。なるべく早期の対応がかえって体の負担を減らし、健康的な状態を保つことになります。 

東洋では「身体の声を聴く…」ということをよく言います。病は心と身体のメッセージです。病因として、普段の生活習慣が原因となっていることがあります。食事や運動不足、ストレスや睡眠不足が、知らず知らずに身体や心に負担がかかっていることがあります。たまにはゆっくり「身体の声」を聞いてあげてください。 「生活を変えて…」「考え方を変えて…」「もっと楽に…」「無理をしないで」というメッセージなのかもしれません。それは自然でなく、不自然な自分によって生じた結果ともいえます。「病」は不自然な生活から、本来の自分をとりもどすための身体からの大切なメッセージなのかもしれません。
それは「身体のことを知っているのは自分自身、同時に本当に治せるのも自分」ということでもあります。普段の忙しい自分から少し視点を変え、自らの体の声にゆっくり耳を傾けてみる。それが自分自身を取り戻す第一歩となります。