瞑想が気兼ねなくできるところ…でありたいと思っています。ご自分の部屋はもちろんのこと、瞑想ルーム、ウッドデッキ、岩の上など…心地良いと感じたお好きな場でご自由にお座りください。

瞑想というと機会がなかったり、どこに行っていいのかわからない…等で二の足を踏んでらっしゃる方も多いいと思います。しかし、瞑想は決して難しいものでもなく、特別な人達のものでも、宗教家のものでもありません。また、思想・信条も必要ではありません。

瞑想とは「思考の働きを止めることで、脳の中の情報を整理し、本来の自分自身(本当の自分)をとり戻すためのテクニック」です。脳(思考・情報)の整理整頓のようなもので、脳の中の情報処理・クリーニング・編集作業ともいえます。それにより、何が自分にとって大切なことか、自分が何を求めているかが明らかになってくるかもしれません。自由な自分になるためのテクニック…それが瞑想です。

また、瞑想には多種多様なやり方があり、たくさんの流派や方法があります。そもそも単純に「今、自らの思考を止めること」を瞑想の目的とするならば、それが当然のことかもしれません。時代や地域、風習により、言語の違いにより、違っておかしくはなく、これといったひとつに決まっているはずもありません。よって自分に合ったやり方でいいと思っています。それは同時に誰でもいつでもできるものであれば、理想なのかもしれません。自分に合ったスタイルで瞑想が実践できる場としてご利用いただければと思います。
 
当施設での瞑想は「マントラを唱える」方法をおすすめ致します。自分の意思とは関係なく、想念は自動的に浮かび上がってきます。その想念に対し、静かにマントラを吹きかけるようにこころで唱えます。それにより、その想念の働きをマントラが一時的に抑えてくれます。
 
マントラは、ご自分の想い想いのマントラでもかまいません。ただ、マントラがあまりにも長かったり、意味のあるものだと、かえって思考が働いてしまうことにもなるので、マントラは意味のない(本当はどのマントラにも深い意味はありますが…)、短めなものにした方がいいかもしれません。
特に何ない方には、「ラーマ」というマントラをお勧めします。ちなみに、マハトマ・ガンジーマハトマ・ガンジーがお使いになっていたマントラが「RAMA:ラーマ」です。

また、ここではあまり捉われない、自分なりの瞑想でいいと思います。ほんの数秒でも、思考を止め、「今を感じる…」これも十分瞑想です。風を感じる、鳥のさえずり、波の音、川のせせらぎ等、さまざまな音をを感じ続けるだけで、やすらぎがあります。自然の「静寂」に、ただただ身を任すのも、これもまた瞑想となります。大切なのは「我、考える故に我在り…でなく、感じるゆえに我在り」ということです。「感じている…」時は自分を解き放ち、あらゆるものを「受け入れている…」瞬間でもあります。「我」「考える(思考)」を「捨てる」ことによって、隙間が空き、新たな自分が感じられるのかもしれません。
 
東洋医学では「自然から『宗気』という『気』をとりいれることで、『後天の精』を補う」といわれています。『自然の気』に意識を向けること、その『命』同士の目に見えない交流が、本来の心身の健康を取り戻すことになるのかもしれません。人の感じる安心感や、やすらぎといったものは、本質的にはそこにあるのかもしれません。 
 
 
 

 
海馬の体積が増加する
2010年にハーバード大学が発表した研究では、8週間にわたって毎日約20分ずつ瞑想を行ったところ、脳の海馬が活性化して体積が5%増えたとされています。海馬は記憶をつかさどる重要な部分であり、認知症に関して大きなカギを握る部分であると言えます。瞑想を行うと、海馬だけでなく脳幹や小脳等も大きくなるそうで、MRI検査によって明らかにされているようです。反対に、ストレスが溜まると海馬はやせてしまって、認知症も進行してしまうようです。 
 
脳からシータ波が出て、海馬が活性化する
東海大学湘南キャンパスの、脳と情報処理を専門とする高雄教授が、ヨガ教室を営む男性の脳を調べた研究があります。この研究では、瞑想を行っているときに脳波を調べた結果、シータ波が多く出ていることがわかったそうです。シータ波が出ることで、海馬は大きくなるとのことです。 
シータ波は、夢を見ている時(つまり、眠っている時)に出るのが普通なのですが、瞑想をしながら夢を見ている状態になっているという、とても不思議な結果です。
 
 
カナダやアメリカでも、アルツハイマー病や認知症への瞑想の効果が明らかに
 

カナダの研究チームでは、記憶力の低下を自覚する14人と自覚していない22人を対象に、マインドフルネス瞑想の効果を調べたそうです。そのさい、マインドフルネス瞑想ではなく心理療法を使った人達と比較すると、記憶力の低下の有無にかかわらず、マインドフルネス瞑想を行った人達の方が脳の密度が増えたとのことです。
 
記憶力の低下はアルツハイマー病と診断されるより前に現れることが多いのですが、診断される前でもマインドフルネス瞑想は効果があると言えるようです。
 
また、アメリカのメディカル・デイリー紙では、これまで効果が注目されていた脳トレゲームやパズルよりも、瞑想やヨガの方がアルツハイマー病や認知症の予防に効果的であると報じています。
 
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のヘレン・ラブレスキー教授(精神科)は、記憶力に問題を抱える55歳の人達25人を2つのグループに分けて、瞑想やヨガと記憶力トレーニングのうちどちらが効果的であるかを調べました。その結果、どちらのグループも記憶力は同様に改善したそうですが、不安感やうつ状態が軽減し、物事に対処してストレスにも耐える力が向上したのは、瞑想やヨガを行ったグループであったそうです。
 
 

我々は身体だけでなく、心もあります。その両者は緊密な関係にあります。身体が重度な問題なら、心には何らかの影響を及ぼします。また心が病むと、暴飲暴食、睡眠障害等、生活習慣が乱れ、身体に負担を生じ、結果的に身体の不調の原因となります。このように、心と身体は相互にいろいろな形で影響し合っています。
 
この数年、鍼灸師という仕事をさせていただいて、これは身体の問題というよりも、心の方の問題だなと感じることがあります。やはり、本質的に改善するには、こころと身体、双方に考慮したアプローチが、有効だなと考えるようになりました。というのは身体がよくなっても、心に問題があると、また戻ってしまうことが多々あるからです。
それには、人は「身体、こころと、本当の自分」で成り立っていると捉え、本当の自分という視点から、心の問題か、身体の問題か、を自分自身客観的に見つめてみることで、自分で心身を整える足がかりになからです。どういうことかというと、身体だけの問題では、身体に対してのアプローチで治癒されることはありますが、心の問題の場合、本当の自分と心とのかかわり方を変えないことには、本質的な問題には至りません。心の問題は自分の考えや思考に問題があり、本質的にその問題は自分でしか治せません。そのための本当の自分の視点で、自分(心と身体)を観察するということが重要なのです。 
では、「本当の自分」と、「自分」の違いはなんでしょうか。身体のことを「自分の身体」と言います。「心の身体」とは言いません。また、心も「自分の心が…」と言います。その自分にあたるのが、「本当の自分」ということです。   
心が病むということは、思考や考え方に問題あるということです。心の使い方、捉え方に問題があるといってもいいかもしれません。そのために、日常の自分の心の使い方や、思考を、考え方を見直し、更改しなければなりません。それは、我々がよくスマートフォン等のアプリに問題がある時、バージョンアップするようなものです。そのことと同様に、まず本当の自分として、そのこころから生まれる想念(思考)を、ゆっくりと丁寧に、客観的に眺め、捉え、その問題に気づき、理解し、想念(思考)を更改することが問題解決ににつながります。
 

思考や想念は本当の自分ではないので、自分を否定することではありません。思考は、考え方のひとつであり、プログラムのひとつです。自分を苦しめ、不幸せにするプログラムであれば、解き放ち、更新、更改しましょう。思考やプログラムは、目的や、それを計画、実行するための道具なのです。ですので、思考の内容は変更しても、思考という道具を否定することでもありません。大切なのは思考にとらわれず、思考を道具として、うまく使うということです。そのために思考を止めるということで、自らの思考を冷静に捉え、自由自在にコントロールしていくようになります。

思考に捉われず本当の自分でいることには問題は生じません。それには瞑想が有効な手段となります。瞑想は繰り返しになりますが、あらゆるものを解き放ち、本当の自分でいるためのテクニックです。


 
      

 

施無畏舎

 
「無畏」とは「おそれのないこと。安穏で怖畏の全くない状態。勇気。おそれずやろうという強い心」とあります(『仏教語大辞典』)。つまり「施無畏」とは 無畏を施すこと、不安や恐怖を取り除き恐れのない状態にすることです。「施無畏舎」という一人一人思いに沿ったのリトリートとして親しまれるようなところになればと願っています。
 
(「施無畏舎」 修禅寺住職 真常老師書)